性同一性障害の新入社員

1.
新入社員の一人が性同一性障害の方(MtF)で、来月の半ばからうちの職場で研修となることから、課内会議で事前説明があった。

・戸籍等では男性だが、女性として扱う。
・通り名を女性名に変更しており、仕事は全て通り名で行う。
・指定作業服は女性用を着用する。
・更衣室と手洗いは専用のものを用意する。健康診断も別枠で行う。

社長が禁煙したとき分煙機が撤去され、ほぼ利用者のいなくなっていた「役員休憩室」が専用更衣室となった。また、社内数箇所の「来客用手洗い」が、来客とこの新人さん用になった。「来客用手洗い」は廊下から直接個室に入るタイプなので、都合がよかった。

コストがかかる……といえば、それはそうなのだけれど、男性ばかりの会社に女性社員が初めて入ってきたときと、大きな構図は同じだ。

まあ、女性は男性と同じくらいたくさんいるが、性同一性障害の方は人数が少ない。損得勘定で説明するのは困難だ。率直に、「正義のため」とでも考えておくのがよいと思う。なんのために800人もの社員がいるのか。それは、負担を分かち合うためであろう。

2.
「女性として扱う」なら更衣室などを専用にする必要はないのでは? という疑問の声もあった。しかし性別適合手術を行っていないことから、「部屋を分けるのが穏当」との判断になったそうだ。

もし立て続けにFtMの方が入社すると、当然MtFの方と更衣室を同じにはできないから(それを「できる」というなら、そもそも専用更衣室は必要なかった)、いよいよ「もう部屋が余ってない」ことが問題となる。が、今回だって「対応が可能だから採用した」のではなく、採用を決めてから「当然やらねばならないこと」として対応策を検討したのであって、先に心配することではない……というのが部長の説明だった。

また、私見性別適合手術をするかどうかは本人が判断することであって、会社としては状態に追随して必要な措置をとるのみである、ともいう。

私には、いちいち納得のいく話だった。

3.
会議の後で、ある同僚は「受け入れコストも含めて能力なんじゃないのか?」と口にした。

だが、例えば自分が突然の交通事故で歩けなくなったとしたらどうか。この会社は、バリアフリー化の不十分な箇所について、必要な措置をとるだろう。つまり、彼我の差は、現時点でコストが顕在化しているか否かでしかない。

言葉を変えて説明するならば、累計で1万人を超える社員を雇用してきた大企業としては、そもそも確率的に性同一性障害の人もきておかしくなかった。障害に対応するコストをみなでわかちあうのが文明社会の誇りであり、今回、性同一性障害の方の入社を機に様々な対処を行うのは、「そのとき」がくるまで先延ばしにしてきた問題と向き合っているだけのことである。

概要、こんな話をしたが、なお首を傾げているので、少し視点を変えて説明を試みた。

誰もが障害を背負う可能性がある。そして、障碍者を切り捨てる社会を、私たちは望まない。ならば結局、入社を拒否したところで、障害への対応コストは、何らかの形で(例えば税金などを通じて)支払うことになる。どのみち障害への対応コストは負担するのだとすれば、せめて当人が最も能力を発揮できる場で活躍してもらうことが、全員にとって最善ではないだろうか。

この説明への反応に手応えを感じたので、もう少し続けた。

そもそも私自身、会社に損失しか与えていない。いろいろ研究し、開発してきたが、結局はどれも研究開発のコストを回収できなかった。私の給料など、丸損である。かつて事業に失敗し、億円単位の大損害を生んだ社員だって、何人もいる。私が積み重ねた損失を思えば、たかが更衣室、たかが専用トイレのコストなど、いかほどのものか。

会社というのは、そもそもが、様々なリスクを承知の上で、大勢で集まって利益を出そうという集団だ。プロジェクトを組み、がんばって、しかし市場の壁に跳ね返されることも多い。だが失敗を恐れて挑戦しなかったら、ジリ貧になって滅びてしまう。

そして人の採用こそ、リスクを承知で行う挑戦の最たるものであろう。入社から退社までのトータルで赤字になる人材も、当然いる。これまでのところ、私もそのコースである。それでも、たゆまぬ挑戦を続けて会社は存続してきた。私たちは、そういう場にいるのだ。

4.
私は、こうしたことを経済的な損得で説明するのは、正しくないと感じている。うまくいえないが、不運な人に手を差し伸べないのは、それ自体が不幸なことだ。自尊心を深く傷つける行為である。

「自分は誰かを救える」などと、おこがましいことは考えていない。しかし自分が「この人を助けても利益がないから助けない」などと判断する人間であっていいはずがない。とはいえ、実際にはそういう判断をすることもあるだろう。だが、「それは当然だ」と胸を張るなら、私の精神は死んだも同じである。

いや、「口ではそういう」ことは、ないとはいえない。いや、実際にあった。でもせめて、それを恥じる心が内になければ、生きる甲斐がない。

5.
雑談で「そもそも完全に能力本位で、男女の区別なく……というなら、いろいろ男女で分けている意味が、よくわからない」なんて話も出た。気持ちの問題として、現実的には、分けるのが「当然」とまで強く主張されるのは理解できるけれども、長期的にはそれも乗り越えていくべき不合理な感情論なのでは、という。

具体的には、男女で更衣室を分けているから、MtFの方のために新しい更衣室が必要になったのであって、「性別で更衣室を分けない社会」だったら、更衣室は1つでいい、みたいな話。くりかえすが、これは雑談として、非現実的な仮定を重ねた話である。

私にはとくに考えがないけれども、映画『スターシップ・トゥルーパーズ』がそのような社会を描いていたことを思い出した。作中世界では男女の区別がなく、1つのシャワールームを男女が同時に利用している。寝室も男女別ではなく、ごたまぜだ。率直な感想を書けば、個人的には、とくに違和感がなかった。私が生きている間に日本がそういう社会になるとは全く思えないが、遠い将来には、そうなっても変ではない。

※筆者は徳保隆夫(とくほたかお)さんです。彼の文章は全て実記ではなく小説なので、客観的事実と異なる記述を多々含みます。

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