トランスジェンダー(英語 Transgender、ラテン語で「乗り越える」や「逆側に行く」を意味する「トランス」と、英語で「性」を意味する「ジェンダー」の合成語)とは、一般に (常にではない) 生まれたときからもっているとされる、伝統的に社会で認識されている役割と同様の規範的な性役割に収まらない傾向を含む、あらゆる個人および行動、グループに当てられる一般用語である。近年の国際的な人権に関する文書においては世界的に承認された普遍的定義はもたないものの、[1] 性自認が身体的性別と対応しない状態を意味する言葉として用いられる。
因みにトランスジェンダーのトランス(「TRANS」)は「横切って、他の側へ、超越して、向こう側へ」の意があり[2]、「催眠状態やヒステリーの場合にみられる、意識が通常とは異なった状態」を意味する「TRANCE」[2]とは別語である。

概要

トランスジェンダーは、ある人の「割り当てられた性」 (身体的特徴ないし遺伝子上の性に基づく男性か女性かの他人による識別) とは違う「性自認」 (女か男か、あるいはそのどちらでもないか) の状態にある。トランスジェンダーであることは、特定の性的指向を有していることを必要条件としない。すなわち、トランスジェンダーの人々は異性愛者であったり、同性愛者、両性愛者、全性愛者あるいは無性愛者であったりする可能性がある。トランスジェンダーの正確な定義は不断の変化を続けているが、次の概念を含む。
アイデンティティが男性ないし女性の性役割の従来の観念に明らかに一致していないが、両者の間で組み合わさっていたり動いていたりする人のこと、あるいはその人に関連しているものまたは示すもの[3]。
性 (通常生まれたときに、彼らの性器に基づく) を与えられたが、間違っているあるいは不完全であると感じる人々[4]
ある者が生まれたときに割り当てられた性 (そして偽りのジェンダー) との非同一化、あるいは非表現[5]
トランスジェンダーの人は、通常は特定のジェンダーを連想させるような特徴を持つことがあるが、伝統的なジェンダー連続体のどこか別のところに共感することもある。あるいはそれの外側に「その他」、「非ジェンダー」または「第三の性」として存在するかも知れない。また、トランスジェンダーの人々は「バイジェンダー」として同一化させる可能性もあり、もしくは伝統的なトランスジェンダー連続体や、近年行われてきた詳細な研究に応じて開発された、さらに包括する連続体上のどこかに共感するかもしれない[6]。
和訳としては、「性別越境者」「性別移行者」等が考案されているが、まだ定訳と言えるものはない。尚、生れながらの性別に従って生きる多数派(非・トランスジェンダー)の事を「シスジェンダー」と呼ぶ。

トランスジェンダーの歴史

医療概念としてのトランスセクシュアル(現在の日本において性同一性障害と称されるものに相当)の当事者が、自らのジェンダー・アイデンティティ(性自認)のあり方が精神疾患であるとの差別的ラベリングを忌避するために、1980年代末よりその当事者が自称として用い始めた用語である。(アメリカのクロスドレッサー、ヴァージニア・プリンス(en:Virginia Prince)による造語とされる)。最広義においては、性別移行(性同一性障害)を抱える者に限らず、祝祭や芸能における一時的な性別越境も含めて、広く生れながらの性別を越境、超越する者すべてを指す場合もある。

トランスベスタイトとトランスセクシュアル

モントリオール宣言以降、欧州連合や国際連合の人権問題を扱う公文書においては、ホルモン療法や手術療法を要するトランスセクシュアル(性別移行、ICD-10のF64.0en:transsexualismに相当)と、そうした治療を要しない性自認による恒久的あるいは一時的異性装(ICD-10のF64.1en:dual-role transvestismに相当)を総称して「トランスジェンダー」と称している。しかしこれらの国際機関は性別適合手術の保険適応の必要性が一連の公文書に記されていることからも、手術療法や法的性別変更を要するトランスセクシュアルと、性自認に由来する異性装者(トランスベスタイト又はクロスドレッサー)らを「トランスジェンダー」という言葉によって混同していない。
トランスセクシュアルの問題は単独では当事者の数が極めて少なく(マイノリティの中のマイノリティ)、不当な汚名を着せられ迫害を受けてきたにも拘らず人権問題として公式に取り上げにくかったため、同じような境遇にある異性装者も包括して国際的な公的機関でその人権救済が問題とされる必要性から「トランスジェンダー」という表現が用いられるようになった。LGBTという一見同性愛とトランスジェンダーを混同しているような印象を与える表現が公的に用いられるようになったのも同じ理由である。

概念の変化

以前までは、
性自認と体の性の不一致に悩んでいる状態
TV(=トランスベスタイト。異性の服装を身につけることによって性別の違和感を緩和している状態)
TG(=トランスジェンダー。性ホルモン剤の投与で体つきを性自認の性別に近づけ異性装等を行う状態)
TS(トランスセクシュアル。ホルモン投与による体の変化でも悩みの解決がなされず、外科的手術により性器の外観を性自認の性器に近づけ性自認の性で生活する状態)という、体の性別移行の一過程のみを説明する言葉であった。
今日では外科手術(=性別適合手術)まで望まない性別移行(性同一性障害)当事者の存在や、日本国の性別移行(性同一性障害)当事者に対する医療のインフラ整備が遅れていること等の為、このプロセス通り進まない人も大勢存在し、生れながらの性別と異なる性自認の性で生活をする場合、この人達全般を指してトランスジェンダーと呼称するに至っている。
しかしながら北欧諸国に於いては「トランスジェンダー」という表現は、異性装者を意味する外来語としてトランスセクシュアルを含まず否定的な意味を伴うので、スウェーデンやノルウェーにおいては代わりに「トランスペルソン」(スウェーデン語ではsv:Transperson格式な法律用語としては「könsöverskridande」、ノルウェー語ではno:Transperson)という表現が用いられる。なおフィンランド語にはトランスセクシュアルと異性装を包括する概念がなくTranssexualismのフィンランド語形である「fi:Transsukupuolisuus」という表現が用いられるので注意が必要である。

Xジェンダー

トランスジェンダーの中には、「Xジェンダー」である者も存在する。これに当てはまるのは主に、「両性」や「無性」や「中性」の性自認を持つ者である。その様相は多様であり、その中には性自認が入れ替わる者や、心の部分部分で違う性を自認する者等がいる。個人差はあるが、自分の心が男女どちらか判らず混乱を覚えたり、男女どちらかの性である事を強要される環境に対し、拠り所の無さや違和感や苦痛を覚える。ただし「Xジェンダー」のこの様相は、記憶のあるスイッチング(人格変換)を有する非典型例の解離性同一性障害の症状とも酷似しており、入れ替わる異性の心は乖離した人格であった報告例もあるため、一概に性同一性障害であると思いこむのは早計である。
これらXジェンダー者の場合、(性同一性障害当事者は男性女性のどちらかを性自認していると考えられがちで)医療的な性同一性障害の診断基準には適合しないとされる事があるが、実際の診療の場では、性自認が中性や無性等である性同一性障害当事者が存在している。
また、「トランス」という接頭辞が、“世間においての、「男性」「女性」という二元論的性別観を前提に一方の性別から他方の性別への完全な移行”を表すニュアンスをもつことから、例えば「Xジェンダー」の様な独自の性別(性自認)をもつ者や、社会的制度としての性別(ジェンダー)自体を否定する者は、ジェンダーベンダー(gender bender, 性別をねじ曲げる人)、ジェンダーブレンダー(gender blender, 性別を混合する人)、ジェンダークィア(genderqueer, 既存の性別の枠組みにあてはまらない、または流動的な人)と名乗る場合もある。

第三の性

非西洋文化圏の一部ではトランスジェンダーや半陰陽、或いはそれに近い存在が第三の性として認知されている。 例を挙げると、ナバホ族のナドゥル、インドのヒジュラー、ドミニカ共和国のゲイヴドーシェあるいはマチィ・エムブラ、ザンビアのクウォル・アトゥムオル、フィリピン・セブ州のバヨットあるいはラキン・オン、インドネシアのワリア、タヒチのマフ、フィリピンのバクラやバベイラン、インドネシアのバンシ、タイのカトゥーイあるいはサオプラペーッソン、ミャンマーのアコルト、マレーのアクニュアー、オマーンのハンニース、トルコのコチェック、セネガルのゴールディグーナ、モロッコのハッサスなど[7]。 アルバニアには、女性が申請した当日から死ぬまでずっと男性として生活する宣誓処女という文化が有る[8]。

インドの最高裁判所は4月15日、身体的な性と自らの性認識が一致しないトランスジェンダーの人々を「サードジェンダー(第三の性)」として認めた。

「自分のジェンダーを自分で選択する権利は、すべての人に認められるべきものだ」。インド最高裁判所は、自らを男性でも女性でもないと見なしている人たちに対し、彼らの権利を認める判決をした際、そのように述べた。

最高裁は同国政府に対し、トランスジェンダーの人々にも、ほかのマイノリティーの人々同様に、雇用や教育、そして生活に必要なあらゆる製品や設備において、一定の対応枠を設けるよう命じた。

最高裁の判決を喜ぶ、インドのトランスジェンダーたち。

AFP通信の報道によると、この裁判は、インド出身の女優であり、トランスジェンダーの活動家でもあるラクシュミ・ナラヤン・トリパティ氏が代表を務める団体が2012年、インド国内のトランスジェンダーの人々に平等な権利を認めるよう、提訴していたものだ。

最高裁の決定は、自らが認める性とは異なる身体的特徴を持つ人々や、生まれた時に割り当てられた性別とは一致しない性的指向を持つ人々に適用される。インド国内には、およそ200万人のトランスジェンダーがいるとする推計もある(伝統的にヒジュラと呼ばれる人々がいる)。

なお、今回の最高裁による決定は、トランスジェンダーを第三の性として認める一方で、同性間の性行為を認めるものではないと明示されている。

デリー高等裁判所は2009年、同性間の性行為を無罪とする画期的な判決を下したが、最高裁判所は2013年12月、これを覆し、イギリス植民地時代以来の「同性間の性行為を禁止する法律」を復活させた。今回の最高裁の決定は、その決定に続くものだ。

153年前の植民地時代に制定された法律によると、インド刑法第377項には、同性愛は「自然に逆らう罪」であり、懲役10年の刑に処せられると規定されている。

なお、BBCの報道によれば、ネパールは2007年、バングラデシュは2013年に、「第3の性」を公的に認めている。オーストラリア最高裁も2014年4月2日、「第3の性」(不特定な性別)を認める判決を下している。

[(English) 日本語版:丸山佳伸/ガリレオ]

週刊ポストでの石原慎太郎発言に反論するよ

石原慎太郎都知事が、先日週刊ポスト2月25日号でこんな発言をしたそうで。

我欲を満たすための野放図な害毒は日本を駄目にする。必ずしも取り締まればいいわけではないが、諸外国では目にしないようなものが、メディアにもインターネットにも横行しているようでは、やはりおかしいといわざるを得ない。

差別でいうわけではないが、同性愛の男性が女装して、婦人用化粧品のコマーシャルに出てくるような社会は、キリスト教社会でもイスラム教社会でもあり得ない。日本だけがあってもいいという考え方はできない。

(NEWSポストセブン|同性愛の男が化粧品CM出演など世界でありえぬと石原都知事)

以下、それに対する反論です。

1. 男性が女装してコマーシャルに出るのは「日本だけ」?

都知事はオーストラリアの男性モデル、アンドレイ・ペジック(Andrej Pejic)をご存知ないんですね。

化粧品のコマーシャルに出てるかどうかは知りませんが、この人ジャン・ポール・ゴルチェのショウに花嫁姿で出てますよ。こんな感じで。

というわけで、男性が女装して女性用のものを宣伝するのが日本だけだなんて思ったら大間違いです。

2. 同性愛者がコマーシャルに出るのは「日本だけ」?

そもそも女装しているからといって、同性愛者とは限りません。性的指向は外見から判断できるものではありません。その点から言っても、都知事の発言はずいぶん杜撰です。それでもとにかく同性愛者をCMに出すなというのであれば、海外にはこんなゲイCMがありますよと申し上げておきます。

3. ひょっとしたらトランスと女装の区別がついてない?

ひょっとしたら、くだんの石原発言はトランス女性を「同性愛の男性の女装」と決めつけた上での偏見開陳かもしれません。でも、トランスジェンダー女性がメディアで活躍するのも、別に日本だけではありません。たとえばアメリカのリアリティ番組『アメリカズ・ネクスト・トップ・モデル』出身のモデル、アイリス・キングは、テレビのみならず雑誌やファッション・ショウにも出ています。ジバンシーのスーパーモデル、リー・Tもトランスジェンダー女性です。

4 . 前都知事も女装してました

青島幸男前東京都知事はTVドラマ『いじわるばあさん』で思いっきり女装しまくってたんですが、それは「我欲を満たすための野放図な害毒」ではないのでしょうか。老婆の姿で笑いの対象となるのはOKで、きれいに女装して化粧品を売るのは駄目ということであれば、そこにもまた別種の差別が働いてるんじゃないですか。

5. それでもどうしても「諸外国」とやらの真似をしたいのなら

どうしてもどうしても「諸外国」とやらの真似がしたいのなら、こないだヒューマン・ライツ・ウォッチに勧告された、「差別的な法律を改正し、差別禁止の事由に性的指向を含める」という仕事に取り組んだらどうですか石原さん。EU基本権憲章は性的指向にもとづく差別を明確に禁止しており、よってEUに属する「諸外国」には同性愛差別を禁じる法律があります。別にEU諸国でなくても、国レベルでアンチゲイな差別を禁じる法律を持っているところはたくさんあります(参考:LGBT rights by country or territory – Wikipedia, the free encyclopedia)。日本にもそうした法のひとつも作ってはどうですか。

6. まとめ

●同性愛者の男性がCMに出るのは、日本だけではありません。
●男性に生まれた人が女性の格好をして女性向け商品をPRするのも、日本だけではありません。
●前都知事・青島幸男は自ら女装してテレビに出てました。
●事実でないことを事実であるかのように述べて偏見撒き散らされるのは迷惑*1です。
●「諸外国」の真似がしたいのなら、反差別法のひとつも作ってください。

追記

なんかものすごく誤読している人がいるようなので追記。アンドレイ・ペジックは性的指向を公表してませんよ(参考:Andrej Pejic – The Androgynous Super Model)。そして、本文中にも書いた通り、「性的指向は外見から判断できるものではありません」。あたしは、「男性として生まれた人が女装して女性用のものを宣伝する」例としてこの人を挙げたにすぎません。以上、念のため。

みやきちさんのはてなブログより

大学でもっているジェンダー入門の授業ではこの数年、学生からの要望もあって、セクシュアリティについての講義時間を増やしている。特にセクシュアルマイノリティについて。

学生の大半は、セクマイの人々についてTVに出てくる芸人くらいしか知らないし、「LGBT」という言葉の意味ももちろん知らない。最初のうちは、ゲイやレズビアンやトランスジェンダーについて嫌悪感や抵抗感をもっていることを、ミニレポート(講義で上映するドラマや映画の感想文など)の中で素直に表明する学生も少なくない。

講義も終わりに近づいた先々週と先週、映画(『メゾン・ド・ヒミコ』)を見せた。この映画では子どもから社会人、老人に至るまで、ゲイへの忌避感や差別心をカジュアルに露にする人々が登場する。最後に映画の感想と共に、「セクシュアルマイノリティへの偏見や差別をなくしていくには、具体的にどんなことをしたらいいと思うか」についても意見を書いてもらった。

まず最初に「偏見や差別をなくすのは難しい」「差別はなくならない」と書いている学生が、今年は去年より多く半分近くいた。みんなペシミスト、いやリアリストなのか。

その上で、「学校教育で正しい知識を伝達する」「メディアリテラシーをつける」「同性婚を認めるなどの法整備で社会的な仕組みを変えていく」「セクマイの友人を作ったり出合える場に行く」など、概ね穏当な意見が書かれている。

次に挙げるのもそうしたものの一つだった。

「幼少の時代にそういう教育をさせれば良い。保健体育で男女の性関係しか出さないからそうなる。男同士、女同士での~事も授業として教えて、子ども達に「これも常識の一部なんだ」とおしえこめば良い。一部ではなく広く」。

ふんふん‥‥と読んでいって、私は最後で何とも言えない気持ちになった。「はっきりいってヘドがでるけどナ」と書かれていたからだ。

この「ヘド」は、「(性)教育」に向けられているのか、それとも「男同士、女同士での~事」に向けられているのか、両方なのか。他の映画感想の箇所を読んでも判断できない。

いずれにしてもその文面からは、「こういうこと書いておきゃあんたは満足するんでしょ。でも俺はヘドが出るんだよ、悪かったな」という呟きが聞こえてきた。

ミニレポートのいくつかは、次の講義で取り上げることにしている。この学生のを読もうかどうしようか迷った。というのは、2クラス200人近くいる学生の中にゲイやビアンの人がいるかもしれず*1、該当者が聞いたら相当厭な気持ちになるだろうから。

ふと、『ヘドウィグ&ザ・アングリーインチ』の時に彼は何と書いていただろうと前のミニレポートを探したら、「(前略)フィクションであってもゲイはない、音楽がたのしくてもゲイはない、表現がすごくてもゲイはない」。やっぱりホモフォビアか。そうだったこれは酷いと思って読まなかったんだ、と思い出した。

で、今回は読むことにした。正直言ってその「ヘドがでるけどナ」という強烈な忌避感情の籠った一言は、「学校教育で正しい知識を伝達する」「メディアリテラシーをつける」「同性婚を認めるなどの法整備で‥‥」(以下略)といった想定済みの「正しい意見」よりずっと私の興味を強く引いたから、無視するわけにはいかなかった。

先日の最終授業で、何人かの意見の後にそれを読んだ。前の方の学生達が驚いて息を呑むのが聞こえ、軽くざわついた。

「たとえば、ここでもかなりの時間を割いてセクマイについて学んできたわけだけど、それも「ヘドがでる」ということかな。そう思いながらこれまで受講していたということかな。セクマイについての早期の教育が大切ということを書きながら、「ヘドがでる」と付け加えねばならなかったこの人の心理に、私はとても興味があります。今は指名しないので、よかったら後で聞かせて下さい」と私は言った。

ミニレポートは読み上げる際、氏名を公表しない(採点の対象にもしない、だから自由に思ったことを書け)としている以上、その場で名前を呼んで問うのはやめた。学生は来なかった。まあわざわざ説明しようという気があるなら、最初からああいう書き捨てっぽい書き方はしないだろう。

後で出席票を確認したらちゃんと出ていた。彼は私のコメントや学生達の反応を冷笑しながら聞いていたのだろうか。

「自分の中の差別意識と向き合って内省するきっかけができた」という学生ならよくいる。「これまで自分がほとんど何も知らなかったことに驚いた」という学生もよくいる。一方で、セクマイへの抵抗感や忌避感が消えない学生も当然いると思う。「正しい知識」は伝達できても、内心を一律に教化することはできない。

だから問題は、内心を表に出すか出さないか、出すとしたらどういうかたちで出すかということになる。

何年か前、フェミニズムを目の敵にするネトウヨ君はいたが、何度か講義を受け映画を観て考えた結果、「差別はなくならない」とは書いても、セクマイへの嫌悪感を剥き出しにする学生はこれまでいなかった。*2 そういう学生はそもそも途中から来なくなるものだ。

件の学生の出席率は非常に良く、特にセクシュアルマイノリティについてやり出した後半は一度も欠席していない。しかし単位認定レポートは出してない。

つまり彼は、あの授業がセクマイについて学ぶ場であることを承知した上で、ゲイへの嫌悪を示す姿勢を講師である私(と、もしかしたらその場にいるかもしれない同性愛者)に表明するために出席していたわけだ。

彼はいったい何に挑戦していたのだろう。

ohnosakikoさんのブログより

2012.10.11 Thu

韓国で、あるバラエティ番組が放送初回にして一部視聴者らの抗議を受け、2回目以降の放送中止を余儀なくされ波紋を広げている。その番組とは、韓国の公共放送KBSのケーブル・衛星専門局KBS Nのバラエティ専門チャンネルKBS Joyが9月6日の深夜12時20分、韓国初の「トランスジェンダー・トークショー」として鳴り物入りでスタートさせた『XY彼女』だ。

「鳴り物入り」と書いたように、新番組『XY彼女』は放送前から注目を集めていた。同番組を含めバラエティ番組の司会で週5本のレギュラーを抱え、歯切れのいいトークで人気、実力ともにトップクラスの大物タレントであるシン・ドンヨプ、2000年に同性愛者であることをカミングアウトしたタレントで俳優のホン・ソクチョンらを司会に据え、「男性の生も知り女性の痛みも知るトランスジェンダーが、男女間の微妙な視覚の違いによって生まれる多様な悩みをテーマに、率直なトークを繰り広げる新感覚のトークショー」として企画された。

放送前の記者会見でシン・ドンヨプは「普段からセクシュアル・マイノリティの問題に関心があった。トランスジェンダーに対する偏見を解消するうえで手助けになるよう努力したい」と語り、ホン・ソクチョンは「同じセクシュアル・マイノリティの立場からトランスジェンダーとより深くコミュニケーションし、ホットでリアルなトークをお届けしたい」と抱負を述べ、期待を集めていた。この2人は以前から友人であり、シン・ドンヨプはホン・ソクチョンの苦労を知る仲でもある。こうした出演陣の意気込みの一方で、保守的な保護者団体、教育者団体、宗教団体が放送中止を強く要求し、局の視聴者掲示板にも反発の声が集まっていたのも事実だった。

そもそも筆者は韓国のメディアやエンターテインメント業界についての専門家ではないが、なかば趣味と若干の研究上の興味もあって韓国芸能をウォッチしていることから今回の件についても気になっていた。それを知った編集部の方からこの原稿の依頼を受けたのだが、事実関係を紹介するだけでも十分な意義があると思い、引き受けることにした。

17人のMtFが自己を語る

では初回の放送は、どのような内容だったのか。深夜枠のバラエティだと聞いていたので日本でよく見るようなそれを想像していた筆者は、冒頭で正直面食らった(ちなみにKBSは受信料を取る公共放送といってもCMがあり、放送内容もNHKのように「お堅い」雰囲気ではなく他の民放と大差ない)。なんとオープニングは、国連の潘基文事務総長が今年3月7日に行った、世界中の国々に同性間の性行為の合法化とLGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー)への差別をなくすように呼びかけたスピーチの抜粋から始まったのだ。

「すべてのLGBTに言いたいことがあります。あなたは1人ではありません」
「暴力と差別を終わらせるためのたたかいは、われわれみながともにすべきたたかいです」
「今日、私はあなたたちの側に立ちます」
「われわれは必ず暴力に打ち勝ち、差別を禁止し、大衆を教育しなければなりません」
「今、そのときが来ました」

(以上、番組テロップより筆者訳。ただし、「LGBT」は英語の原文に従った。番組テロップ直訳だと「トランスジェンダー」)

一度、スタジオに移って司会のホン・ソクチョンが華々しく番組のスタートを告げ、仮面舞踏会風の目を隠す仮面をつけてひな壇に座る17人のMtF(*1) トランスジェンダーを映し出したあと、世界のセクシュアル・マイノリティ人口が推計1億2千人以上であるというデータを示したうえで、弟と共同で映画『マトリックス』シリーズの監督を務めたことで知られ、最近、性別適合手術を行い女性として公の場に登場し話題になったラナ・ウォシャウスキーさん、東京・世田谷区の上川あや区議など、世界各国で活躍するトランスジェンダーについての短い紹介が続く。

さらに、韓国国内のトランスジェンダー人口が2万5千人と推定されることに触れ、90年代に性別適合手術を行い2002年に韓国で初めて戸籍上の性別変更が認められた、韓国初のトランスジェンダー芸能人として有名なタレント・歌手のハリスが紹介され、「世間の偏見とたたかってきた世界のトランスジェンダーたち」「偏見の壁を打ち破る韓国のトランスジェンダーたちのトークが始まる」というテロップ、ナレーションで再びスタジオに戻る。

スタジオのセットや番組の構成は、日本の番組に例えれば、『恋のから騒ぎ』(日本テレビ系列)のような雰囲気と言えばわかってもらえるだろうか。司会は前述の2人にモデル出身の若手の男性タレントを加えた3人。前半は、新番組の初回とあってまずは17人ひとりひとりがタレントで言えば誰に似ているかをお題に、仮面を取りながらの自己紹介トーク。

後半は、「50人の女性と付き合ってきたが、まだ初恋をしていない気がする」という20代男性の相談に答えるというスタイルで番組は進行した。トークは当然ながら、自然に各自のこれまでの恋愛経験から人生全般について語る流れになり、性的なアイデンティティの自覚、恋愛、家族や周囲との関係、海外での性別適合手術等における葛藤や失敗談を含む、MtFトランスジェンダーと言えども一様ではない多様な経験、また韓国における偏見の強さや被差別の体験等についても率直に語られた。

(*1)身体を基準に付与された生物学的な性別(セックス)が男性で、性自認(ジェンダー・アイデンティティ)が女性

制作側の配慮

こうしたトークの過程で印象的だったのは、多少異なった経験はしているものの彼女たちも恋愛や家族のことで悩む「普通の人」であるという立場に立っていること、同時に基本的にはトランスジェンダーについてはもちろん、セクシュアル・マイノリティについての「正しい」知識と理解を広めようと制作側が心がけていることがうかがえたことだ。「いじる」ことで笑いを取ろうとすることはほとんどなく、基本的に無知を自覚したうえで違いを尊重して学び、理解と共感を広げようという姿勢、そのために番組に登場してくれた彼女たちを尊重しようという姿勢で一貫しているように見えた。

たとえば、司会者で同性愛者のホン・ソクチョンが、自分は男性が好きなだけで女性になりたいわけではないと、誤解されがちなMtFトランスジェンダーとゲイの違いについてさらっと説明すると、シン・ドンヨプが「誤解はよく知らないところから始まる。年配の方などは慣れていないから不快に思ったり受け入れるのが難しい部分もあるかもしれないが、正しく知ることが大事。だからこうした話をたくさん聞かせてほしい」と出演者に投げる。

するとある出演者が、「男が好きなのはホン・ソクチョンさんと同じだけど、それはただ生まれたときから女だったから。トランスジェンダーになりたくて手術したのではなく女になりたくて手術をした。恋愛対象が男性で男性の姿のままのホン・ソクチョンさんのような方とはそこが違う」と応じる。

やはり、「なぜうちの息子だけが、うちの娘だけが、何が足りなくて……と嘆いて、説教したり治療すれば『治る』と思う親御さんが少なくないが、そうではない。もともと自然な性向なのだ。強制しても子どもが不幸になるだけ」といった話を随時はさむなど、セクシュアル・マイノリティ当事者であるホン・ソクチョンが司会陣にいることが効いている。

さらにある出演者が「女として生きようと思ったとき、ハリスさんのようになりたくてもなれない、トランスジェンダーはみな美人じゃないといけないのかと悩んだ。でも、女の人の中にもきれいな人もいれば普通の人もいるし、太った人もいる。私はただの太った女でいいんだと思えるようになった」と語り、MtFトランスジェンダーへの視線はもちろん、当事者の中にもある「女性の美」についての固定観念に異議をとなえる場面や、この番組自体が「韓国初のトランスジェンダー・トークショー」と銘打ちつつも、出演者がMtFばかりであることへの配慮でもあろう、シン・ドンヨプが、1991年に韓国で初の女性から男性への性別適合手術が行われて以降、MtFとFtM (*2)の比率がほぼ同等になったという事実を紹介しながらFtMについての話題をふって、トランスジェンダーといえばMtFばかりだと思われがちな誤解を解こうとする場面など、バラエティの枠内での努力がうかがえる場面は少なくなかった。

トーク終了後、番組の最後は、民主統合党のチン・ソンミ国会議員(民主社会のための弁護士の会女性人権委員会委員長)が、セクシュアル・マイノリティのおかれた状況について理解、共有する出発点となって社会に変化をもたらすことに期待を寄せつつ、番組の門出を祝うメッセージVTRだった。

(*2)身体を基準に付与された生物学的な性別が女性で、性自認(ジェンダー・アイデンティティ)が男性

保守団体から抗議が殺到

番組内容についての芸能メディアの反応はおおむね好評だったようだが、「抗議」の声は放送後もやまなかった。

報道によると、「真の教育母親全国集会」「国を愛する学父母会」「正しい教育教授連合」「ESTHER祈祷運動」などの237の保守的な教育者・市民・宗教団体は「トランスジェンダー・性転換者を喧伝するKBS反対国民連合」を結成。「同性愛者のホン・ソクチョン氏を司会に据えトランスジェンダーを大挙出演させ男女の心理を扱うのは、青少年の性的アイデンティティに混乱を与える」「トランスジェンダーと同性愛がメディアを通じて青少年に拡散されたら社会問題を引き起こす」として、放送前から繰り返し放送中止を要求してきた。

3日には有力日刊紙に全面広告を出し、放送当日の6日には、KBS本社正門前とKBS Joy正門前で記者会見を行い、(1)KBS視聴料納付拒否運動(2)KBS視聴拒否運動(3)KBSキム・インギュ社長、KBS Joyキム・ヨングク社長の退陣要求運動――を内容とする「1千万学父母・教育者・国民署名運動」を展開すると明らかにした。第2回目の放送を翌日に控えた13日にも再びKBSとKBS Nの前で反対集会と記者会見を開いた。

この団体の主張は、ある会員のものとして報じられた次のような発言に集約されているだろう。

「最近、社会で頻繁に起きている幼児性暴行などの犯罪は、性的な刺激につねにさらされている人々を中心に引き起こされている。国民情緒を純化し、明るい社会を作ることに貢献すべき公共放送が、倫理道徳的に正しい基準を提示できず、20人の性転換者と同性愛者ホン・ソクチョン氏を国民的司会者シン・ドンヨプ氏とともに出演させ、『非正常的な性的状況』を放送メディア上で美化するのは、児童生徒たちの正しい性意識を歪ませるだけでなく、子どもたちの将来に致命的な悪影響と一生の不幸をもたらしかねない」。

こうした主張の是非についてここで説明する必要はないだろう。日本で暮らす私たちにも見慣れた、世界中のどこにでもよくあるような、非科学的で偏見に満ちた思い込みだ。

こうした向きにとっては、傘下のケーブル局とはいえ同番組が公共放送であるKBS系列であったこと、また子どもに人気のあるファミリー向け番組にも多数出演している国民的司会者シン・ドンヨプが司会を引き受けたことも気に入らなかったらしい。同局の掲示板はもちろん、彼が出演する他局の掲示板にまで抗議の声が飛び火している(同時に、それをいさめる声も投稿されているのだが)。

もしかすると、このように一部の保守的な団体が騒ぐというのは制作側にとっても想定内だったかもしれないが、こうした「公の抗議の声」は、韓国社会にいまだ根強いホモフォビア、トランスフォビア、セクシュアル・マイノリティに対する差別意識を後押しした。局の掲示板には番組出演者に対する脅迫まがいのヘイトスピーチがあふれ、局には非難のメールや電話が殺到したという。

韓国社会の現状を憂える声

結局2回目の放送を翌日に控えた13日になり、同番組を放送したKBS Joyを運営するKBS Nが公式サイトを通じ、「6日に初放送されたKBS Joyの自社制作番組、『XY彼女』に対する視聴者の皆様の意見を受け入れ、しばらくの間、放送を保留することが決まりました。視聴者の皆様の愛情のこもる関心と助言に感謝いたします」と公示を出した。毎週木曜深夜の予定で始まり4回分まで収録を終えていたが、10月1日現在、番組は再開されておらず、今後についての公式なコメントはない。報道によるとKBS Nの関係者は「視聴者の反発を考慮した決定」で、「放送再開の時期は決まっていない」と説明したという。

この決定に対し抗議している団体はなおも、保留ではなく番組の完全な打ち切りを求めているが、放送を見た視聴者からは、中止を惜しんだり、中止すべきではなかったとの声も上がっている。局の視聴者掲示板への書き込みも打ち切り要求と放送再開要求で二分されているが、当初より、日を追うごとに応援のメッセージが増えているように見える。

こうした中、番組にも出演していたチン・ソンミ議員をはじめ最大野党である民主統合党の国会議員7人は14日、KBS Joyの放送保留決定を糾弾する声明を発表した。声明は、「放送法によって保障された放送の多様性保障と少数者に対する差別禁止に反し、普遍的人権を守るべき公共放送としての責務を放棄したもの」と指摘、「不当な放送保留決定を取り消し、勇気を出して番組に出演したトランスジェンダーの出演者たちとセクシュアル・マイノリティの視聴者たちに謝罪せよ」と主張した。

議員らの意見は、「トランスジェンダーや同性愛者が精神病や非正常ではないということは、医学的、社会学的に常識化された主張である。現代ではむしろセクシュアル・マイノリティに対する極端なヘイト(憎悪)が社会的に危険なものとみなされている。

またメディアを通じた性的アイデンティティに関する情報の取得は、セクシュアル・マイノリティの青少年にとっては自身のアイデンティティを受け入れ、安定した生活をしていくうえでの一助となり、異性愛者にとっても社会的な多様性を学ぶ機会を提供する」というものであり、「『XY彼女』の放送保留決定は、私たちの社会の多様性と人権を保障すべき公営放送としての責務の放棄に他ならない。一部の極端な反対世論だけで放送を中止するのならば、人権に対する苦悩もなくただネタだけのためにトランスジェンダーの勇気を利用したのだと自ら認めることになる。『XY彼女』を企画した本来の勇気を最後まで通し、社会的偏見より普遍的人権を追求する放送になってくれるよう願う」と要望した(NEWSis 9月14日付)。

また同性愛者の団体「ゲイ有権者パーティ」は25日、「保守団体の殺気立った脅迫に放送出演者たちが恐怖を感じている」として、「今週中にソウル地方警察庁に放送に出演したトランスジェンダー10余人に対する身辺保護を要請する」と明らかにした。

先の民主統合党議員の放送中止糾弾声明に対する回答でKBS Nは、「日刊紙に全面広告を掲載するほどに資金力と組織力を持つ団体であり、今後も抗議の度合いを強めてくる可能性が高い」とし、「番組の司会者、出演者を保護するため、放送の保留という困難な決断を下した」と説明したが、実際に一部の保守団体関係者がKBSに電話をかけ「番組の司会を務めるシン・ドンヨプを(業界から)抹殺する」という脅迫をかけているとも伝えられている。「ゲイ有権者パーティ」のイ・インソプ事務局長は「韓国が人権先進国になるためには、今回の保守団体に見られるような反人権的、差別的な社会的雰囲気を改善しなくてはならない」と述べた(聯合ニュース 9月25日付)。

映画監督で、2006年に自身が同性愛者であることをカミングアウトしているキム・ジョ・グァンスさんは13日、ツイッターに「KBS Joyで放送された『XY彼女』が、名ばかりは教育がどうのこうのというホモフォビア団体の圧力で中止に追い込まれたという。『トランスジェンダーを喧伝する…』だなんて、彼らはいまだLGBTを病気扱いしている様子。怒りレベル上昇中」と書き込み怒りをあらわにした。

また実際に番組に出演していたMtFトランスジェンダーのポポさんは14日、自身のブログで保守団体の主張について次のように反論した。

「私たちは生まれつきこのようなジェンダー・アイデンティティを持って生まれてきました。お宅のお子さんが異性愛者の指向を持って生まれたり、例えばもろもろの生まれつきの障害があるように、私はそのように生まれたのです。私たちはお宅のお子さんたちに私たちを特別視したり、好きになってくれるよう望んでいるわけではありません。ただ、私の個人的な考えですが、私が小さかった頃、うちの両親は、貧しかったり、かわいそうな境遇にあったり、障害があったりする友達を、苦しめたり傷つけてはいけない、あたたかく接してあげるようと、そう教えられてきました。私は両親の教えに従って、学校で様々な友達と分け隔てなく仲良くするように、そう努めてきました。お宅ではどのような教育をしているのでしょうか…」

「こんな文章を書きながら胸が痛むし、トランスジェンダーを悪く言う方々が憎らしいです。泣きながら書いているので何を書いているのかよくわからなくなっていますが、『XY彼女』が放送されたとき、私は本当にうれしかった。社会でごく少数の人々も認められる日が来たのだと思って、うきうきして、うれしい日でした。でも、本当に悲しいです…」

彼女のみならず、番組出演者らの気持ちを思うと胸が痛む。こうした当事者だけでなく、ネットニュースのコラムや個人のブログ等でも、番組に好意的で、中止を惜しみ、偏見が根強い韓国社会の現状を憂える声が多く見られている。

過去の類似騒動

『XY彼女』の司会も務めたタレント・俳優のホン・ソクチョンが同性愛者であることをカミングアウトしてから12年、トランスジェンダーのタレント・歌手のハリスは今年デビュー11周年を迎えたが、その道のりは決して平たんじゃなかった。とくに、それまでシットコム や子ども番組の司会などで人気だったホン・ソクチョンは番組でのカミングアウト後、すべてのテレビ番組を降板する憂き目にあった。

それからしばらくはテレビの仕事を失ったが、3年後にテレビドラマで復帰、現在はミュージカル等で活躍しながらセクシュアル・マイノリティの人権団体の活動や講演なども行い、テレビのトーク番組等でも積極的に啓蒙に努めている。

『XY彼女』の放送開始前にはメディアに対し、「私がカミングアウトをして騒動になってから12年後の今、私を見て、同性愛者に対する視線が以前より柔らかいものになったと感じるのならば、(トランスジェンダーをはじめセクシュアル・マイノリティの)話に耳を傾ける余裕が社会に生まれたということではないだろうか。リラックスしたショーになるだろう。憂慮すべき要素はないと思う」と語っていたのだが(イーデイリー スターin 9月4日付)、放送中止になった今、その胸中はいかばかりだろうか。

昨年放送された、主人公がレズビアンという設定のKBS 2TVのドラマスペシャル『クラブビリティスの娘たち』は、放送後、やはり反発する一部の強い声に押されてネット上のオンデマンド放送が取り消された。また男性同士の同性愛を取り上げ名作と名高いSBSの連続ドラマ『人生は美しい』(2010年)に対しては、放送中止を求める団体の抗議活動が放送後1年以上も続いたという。

『人生は美しい』のチーフ・プロデューサーだったキム・ヨンソプSBSドラマ特別企画総括局長は今回の事態を受け、「『人生は美しい』がマイノリティに対する人々の視線を多少なりとも改善するうえで役割を果たせたと自負はしているが、当時においても反感は強かった。若い世代の思考は大きく変化しているが、既存の40~50代の思考は簡単に変わらない。正しい価値ならば大衆の情緒より放送が一歩先に進むことができると考えてはいるが、最近は全般的な社会の雰囲気として保守的な傾向が強まっているように思う」と語った。

また『XY彼女』のイム・ヨンヒョンプロデューサーは、「これまで、トランスジェンダーや同性愛者にスポットを当てた番組はマイノリティの特異性と笑いという要素からアプローチしていた側面が大きかったが、今回、私たちは一般人と同じ位置において見ようとした。それによって一部の視聴者の拒否感がより強くなったようだ」(以上、PDジャーナル 9月18日付)、「今回のような反発は、私たちの社会の閉鎖的で排他的な面を示しているだろう」(聯合ニュース9月23日付)などと述べている。

変革への意志、支持する世論

日韓のセクシュアル・マイノリティの現状全般について比較するのは筆者の手に余るので、参考までに関連する一事例だけに触れておこう。

日本では2004年に性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律が施行され、性同一性障害者のうち特定の要件を満たす者については、家庭裁判所の審判により法令上および戸籍上の性別を変更できるようになった。

一方の韓国では、それまで各裁判部で判断基準が異なっていたが(前述したタレントのハリスは2002年に、韓国で初めて仁川地裁が性別変更を認めた)、2006年に最高裁判所がトランスジェンダーの戸籍変更を認める決定を下した。

決定文は「性の概念は生物学的要素と社会・心理学的要素をともに考慮しなければならない」とし、「外観だけでなく、社会的領域で反対の性で活動するトランスジェンダーの場合、人間らしい生活をする権利を認められなければならない」と明らかにした。こうして最高裁が判例を作った意義、インパクトは大きかったが、たった6年前のことでもある。それも儒教の影響が強く、性的な面においてもとより日本以上に保守的な韓国社会において、だ。

政治性や社会性を商業性とうまく融合させることで、世界に通じるわかりやすいエンターテインメント性を獲得するとともに社会を変えうる訴求力を持つ作品作りは、80年代の民主化闘争に参加した学生運動世代が作り手として台頭し、世界で頭角を現すようになった2000年代以降の韓国映画のひとつの特徴でもある。例えば最近では、聾学校で実際に起きた性的暴行事件をもとにした映画『トガニ』(2011年、現在日本公開中)が、事件の再捜査だけでなく「トガニ法」と呼ばれる子どもや障がい者への性暴力の時効廃止と厳罰化をはかる法改正をうながした。

こうした姿勢は、報道番組はもちろん、ドラマやバラエティなどテレビのエンターテインメント番組にも共通する。日本で話題になることはそう多くないが光州事件を真正面から描いた『砂時計』(1995年、SBS)など社会派のドラマは少なくない。「ポリティカル・コレクトネス」を正面に掲げ、メディアが社会変革に果たせる役割を(いまだ)信じ、それを実践しようとする気持ちが作り手側の根底にあるのだろう。前述した『人生は美しい』や『XY彼女』のプロデューサーの言葉にもそうした思いはにじむ。

今回の反発や抗議活動にも見られたように変化が急速であるゆえだろうか社会の抵抗も根強いが、変革への意思や支持する世論も今のところそれに負けずに強いように見える。今回の件の経緯を見守りつつ、まだまだ困難や挫折もあるだろうが、今後もエンターテインメントにおいてこのようなチャレンジが続くことに期待したい。